吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

本日のゼミ記録(後期第13回)

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 なんということでしょう。本日のゼミ記録です。なんということでしょう。

 今年最後のゼミだというのに、人数の少ないこと。来月、3年最後のゼミは全員出席してくれるよう願いますよ!

 ということで、今日の課題図書は池波正太郎の『西郷隆盛』。一年間ほど歴史小説を扱ってきましたが、池波さんも西郷さんもお初。議論の方は、割とみんな発言できていたし、まとまりもあったと思います。

 

 結論的には、西郷さんという人は私心や野心が無く、自分がどう思うかとか、それが良いか悪いかということより、目の前にある問題・課題を打開することに命を懸けた自己犠牲の人で、そういう姿勢であったからこそ大きな政治的問題だけでなく、庶民の悩み(農業関係とか)にもしっかり対応したり、「お金がない」というような私的な悩みであっても「じゃあ、このお金あげる」と応えてあげられる。それが誰からも愛され、信頼された西郷さんの魅力であり、特色だったのだろうということでしたか。

 最期の戦いになる西南戦争も、大久保達新政府が描いた新しい国家をしっかりと築かせるためには、自分と薩摩軍という“維新の象徴”を乗り越えていかないと、それを打ち倒すことで新政府の力を誇示させないといけないんだ、と考えた結果起こった、というか起きないようにしなかった戦争だったと解釈すれば、哀しいぐらいに究極の自己犠牲なんじゃないですかね。

 そして、池波さんが作品の中で書いている「真の政治家」というのは、まさにそういう自己犠牲の姿勢で、私心・自分の理想のためでなく、誰かのために、国・国民のために動いていける人のことなんじゃないかという話も出ました。そう考えると、やっぱり今の政治家って・・・・と感じますよね。

 でも、こういう姿勢というのは逆に言えば、「自分のヴィジョンがないということ」というのは先生のお言葉。他の人が持ってきた課題、どこかから湧いて出てきた問題に私心を捨てて取り組む一方で、その先に何を見ていたのかがわからない(あえてその先なんか見ていなかった可能性も)から、現在西郷さんを考えてみても何か「西郷といえばコレ。」というようなしっかりしたイメージは湧かず、茫漠としたイメージになってしまうわけですよね。だからこそ、逆にそれが過ぎたほどに冷静で現実的だった大久保とのコンビが素晴らしかったとも考えられます。二人が揃ってはじめて、先見性や計画力、悪く言えば策謀、そしてその実行力が最大限に活きて、とんでもないパワーを生んでいたのかなと。近藤×土方だった新撰組を同じように。 そういう西郷のフワフワした部分っていうのは、他の幕末偉人らと決定的に違うところだと思います。

 まとめとしてはこんなところでしょうかね。まとめてみても今日は筋も通って、的を射た議論ができてた気がします。良かったです。

 では、そういうことで今年のゼミ記録はこれでお終い。次の更新は年明けて2011年になります。

 1月13日が次回のゼミですね。だいぶ先だ。テーマとしては『総合討論』です。最後になりますから、全部まとめて喋りましょう。議題の一つぐらいあった方がと思うので、後日何か考えてメーリスでも回す予定。みんなも何か「こんなことで議論してみたい」「こんなことに関してみんなの意見を聞いてみたい」ということがあれば、メーリス回しちゃってくださいね。

 では。よいお年を。

須山。

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