吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

3年前期7回目

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こんにちは。今週の土曜に発表会を控えている3年の高橋です。箏、三味線、尺八のサークルに所属しています。
演奏会は9日14時ぐらいから第二校舎の8番教室で予定していますので時間があったらぜひお越しください!
告知をしてしまい申し訳ありません・・・。そして、更新が遅れてしまいさらに申し訳ありません。

三年生第7回は壬生義士伝の下巻でした。リポーターが藤本さん、司会が紀室さん、書記が高橋でした。

発表については、『吉村貫一朗』の人物像や、『貫一朗』と『次郎衛』の関係について、また『貫一朗』と家族の関係性に焦点を当てていたと思います。
あ、『石割桜』の事も興味深かったです!!!

まとめでは『壬生義士伝』とは
・身分の差に阻まれながらも友情を築く物語
・きつい言葉の裏に隠れた本音を書いた物語
・故郷への愛を描いた物語
・吉村貫一朗は義に生きた最後の侍

とまとめていました。

議題は『①吉村家と大野家の内情を含んだ、貫一朗と次郎衛の関係性について』、『②義を貫くことは貫一朗にとってどんな意味があったのか?』でした。

まず①に関しては、貫一朗と次郎衛は竹馬の友でありながらも主従の関係も結んでいるという二面性がありました。
上の立場である次郎衛は南部藩の飢饉問題の解決策の模索しなければならなかっただろうし、国を引っ張っていく立場として吉村貫一朗という一個人に対してのみ例外を許すことなどできなかったと思います。リーダーがナヨナヨしていたら、組織もまとまっていかないですよね・・・。

このような理由から次郎衛は貫一朗に対して苦渋の決断(=切腹)を命じなければならなかったのだと三年は考えました。
ただ、友として救いたいという感情もあり、文章中に出てきた、次郎衛が貫一朗に飯を与えるくだりは次郎衛の貫一朗に対する罪悪感が表れていた箇所だと思います。
きっと、大義名分を貫いていた人間(=貫一朗)を死なせたくはなかっただと思います。救いたい、でも身分がジャマをする・・・とても難しい問題ですね。

次に②に関してです。貫一朗の生き方に焦点をあてて議論を進めていきました。貫一朗の義=家族を養うこと=お金稼ぐこと=斬られず、かつ斬ること。
妻・しずの事が大好きで大好きでたまらない・・・&そんなしずから生まれた子供も守りたい、まさに吉村貫一朗の人生とは『壮大な出稼ぎラブストーリー』であったと三年は考えました。ただ、家族への義を貫いたのは確かですが、幕府への忠誠は尽くせていたのか?というところで貫一朗の行動には多少ばかりの疑問も残りました。また、南部藩が経済苦でなかったとしたら壬生義士伝のような吉村貫一朗像は生まれていたのかも気になるところです。
本の内容だけでなく、歴史背景などをもう少し知っていたら別の観点から攻めることができて、もう少し深い議論ができるのではないかなぁと思いました。

ちなみに、この発表の次の週(二週間前?)はフィールドワークの打合せを四年生の先輩方と行いました
で、先週は就活の説明会みたいなのを受けました。
さて、今週は壬生義士伝の映画鑑賞です!楽しみですね!!!!

それでは失礼します。乱文・駄文申し訳ありませんでした。

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