吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

2011年5月2日
から 吉田 悦志
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さあ!今週から。3年生4年生へ。

4年生は浅田次郎『一刀斎夢録』上巻だけを議論します。あまり無理をせず始めます。参加して下さい。

3年生は今年のスケジュールや学習内容について、話し合いをします。合同懇親会に参加してくれた人,お疲れさま。

一つだけ資料提供by悦ちゃん

2011年4月14日
から 須山
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3、4年合同飲み会開催

 ゼミ長です。こんばんは。

 昨日は3、4年合同の飲み会が開かれました。4年生と3年生の初顔合わせ。というか、考えてみれば3年生同士もそんなに交流があるわけでもなかったんですよね。そういう意味でも貴重な飲み会でした。企画してくれた太郎ホントにありがとう。いつも助かります。

 参加人数は4年生が6人、3年生が6人か7人かな?うろ覚え。こっちが企画しときながら4年生の方が少ないという状態でしたが、まあ今の時期はしゃあないですよね。よくわかります。それよりも3年生がしっかりと参加してくれたのが嬉しかった。男子1人だったし。自分なら絶対欠席します。

 全体的にイイ感じでワイワイしてたので良かった。個人的にもずっとその1人の男子をつかまえて競馬の話をしてやったので楽しかったです。しかし、永野君にはとても悪いことをしました。同学年の女の子と楽しく会話したかっただろうに・・・まあ、授業始まれば嫌でも会えるのでそこで頑張ってもらうということで。

 授業が始まれば、3年生と顔を合わせる機会も増えると思いますが、またこういうただの飲み会もできたらいいなーと思います。その時はまた太郎辺りよろしく(人任せ)。

 

 授業開始はもうちょっと先ですが、3年生にはしっかりやっていってほしいです。ダラダラやろうと思えば、いくらでもグダグダになってしまうスタイルのゼミですから。自主性と、このゼミを選んで入ったことに対する責任感を持ってやっていって欲しい。もちろん我々もですが。少なくとも「なんだ4年生大したことねえな」とは言われないようにしたい。

 前に先生からも連絡ありましたが、4年のゼミは水曜6限です。今のうちにちゃんとスケジュールの調整しておいてくださいね。ちなみに、3年のコマは一つ前の水曜5限なので、そこに授業入れてなければ4年生がちょっと顔を出してもいいかもね、とか。

 そして、初回授業は5月4日。ゴールデンウィーク真っ最中ですが、怒るなら天災を怒れ。課題は何度も言う通り浅田次郎さんの『一刀斎夢録』で、レポーターはじゅんじゅん、司会は太郎で昨日決まりました。よろしくお願いします。

 では。

2011年4月1日
から 須山
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4月なんですけど。

 4月になりましたー。

 が、もちろんみなさんご存じの通り学校は約一カ月の延期となりましたね。就活生にとってはあんまり関係ないですが、普通の学生は驚くべき暇さでしょうね。ゾッとするね。もうずっと競馬ゲームやってるしかないな。

 

 ということでゼミも延びますね。授業数が少なくなるので、扱える作品数も減らすことになるかもしれないですね。

 とりあえず最初の課題はこの前メーリスで回した通り『一刀斎夢録』でいいとは思いますが・・・他は考えましょう。でも、なんかメーリスで相談するのって億劫なんですよねぇ。このHPをもうちっと利用したいものですが、コメントのやりとりってのもなんだか。でも、個人的にはメーリスよりはいいかなと思います掲示板でもあればいいんですけどね。

 そもそもこの投稿を誰が読んでいるのか・・・w

 あ。そんなこと言っときながら僕は『一刀斎夢録』読んでないですけど。すいませんね。最近読んだ中では木下古栗さんがめちゃくちゃ面白かったですね。振り切っちゃってる作風がイイ。あと山尾悠子さん。これから読みたいのは古井由吉さんです。

 どうでもよかった。でもオススメ。

 就活の上に震災もあって色々大変だなーと感じてる人も多いかもしれませんが、読書をしましょう。読書を。昼間は電気もテレビもPCも点けずに本を読んでいれば、イイ節電になるはず。夜もちっさいライト点けて、布団に入りながら本を読めばいいのです。電子書籍は充電で電気食うからダメだな。

 たまにはここも更新をしようと思ったので、ちょっと書いてみましたよ。雑記ですけど。みんなも就活に対する文句とかぶちまければいいんじゃないの?w

 では。失礼します。

2011年2月6日
から 吉田 悦志
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資料提供by悦ちゃん

沼ちゃん、いい書き込みだね。勉強している。順ちゃん、ゼミでは一番早く「一刀斎夢録」読破だ。私は今は,今年の研究テーマにしている彰義隊を調べているところです。夏、調査のため北海道に行く予定です。これに関連している資料です。みんなは司馬さんの「峠」と結びつけてもいいですね。奥羽越列藩同盟と河合継之助。

2011年1月24日
から junko
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一刀斎夢録

こんばんは、初投稿であります。よろしくおねがいします。
今回はゼミ中も飲み会中も思わず熱くなってしまった一刀斎夢録について少し書かせていただきます。先生にはみんなの購買意欲を掻き立てるようなうまい文を書いてくれ的なことを言われましたが、はたして。

いやー、さすが浅田先生という感じです。涙なしには読めません。電車でクライマックスに差し掛かってしまい危うく一人で泣くところでした。浅田的歴史感も健在なので、これはいろいろと考える楽しみもあると思います。ぬまたんとか特に。

この本は、壬生義士伝と形式が似ていて、明治天皇が崩御なされて時代が大正になった頃、藤田五郎(斉藤一)がひとりの陸軍将校に自分の体験を語って聞かせるというスタイルで書かれています。現在(大正)と過去を行き来する形で描かれているので、日本がいかに様変わりしたか、そのコントラストにも目を見張るものがあります。その中でも消えない日本人の気質だったり。最後のゼミでも少し話しましたが、維新の功罪を改めて考えさせられると思います。
今年一年間でいろんな本をよんで、いろんな話をしていましたよね。誇張でもなんでもなく、この作品を読んでいたら今まで私たちが考えてきたことすべてがつながります。新撰組、近藤、土方、芹沢、慶喜、容保、幕府、会津、長岡、水戸、公明天皇、薩摩、長州、龍馬、西郷、大久保、高杉、エトセトラ、すべてをつなぐスケールのでかさを感じました。と同時に、その壮大な物語にちゃんとついていけてる自分にも感動します。私たちがさんざん議論してきた内容もそっくりそのまま出てきたりして、「うわ、うちら浅田さんと同じ目線で見れてたんだ!」ってただただ興奮します。
皆もこれから読むと思うので、内容には触れないでおこうと思います。本当は細かい感想とかも書いていけばめちゃくちゃあるんですが、きりがないしネタばれになるので、こっそりノートにしたためておくことにします。各々いっぱい感想が湧いてくるはずなので、それは来年の議論に持ちこしましょう。新撰組三部作、トータルした話などもできるといいですね。

拙い文章で申し訳ありません。とりあえず単純に面白かったので高いけどみんな買ってね!読みたい人には貨します!

2011年1月22日
から 沼野 晃
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日本外史

頼山陽の著作「日本外史」を切り口に思ったことを書こうと思う。

頼山陽とは頼春水の子、江戸後期(幕末より一歩手前の時代であろう)の歴史家であり、それである以上に思想家であった。

頼山陽の編纂した「日本外史」とは画期的であった。なにがかと言うと、「初めての日本通史」だったからである。

当時の学問で今でいう史学とは「中国史」であった。

つまり、知識階級の人々は中国史には精通しているが、自国の歴史はほとんど知らないという一見奇異であるが、しかし当時としてはこれが常識であった。

そこに現れたのがこの「日本外史」である。

しかし、頼山陽が多分に思想的であるために、その思想、つまり尊王思想というフィルターにかけられた歴史観に基づかれていた。

江戸後期と言う時代は思想が氾濫していた時代であったが、それが歴史学にも反映されてしまった。

歴史学とはどうあるべきかというと具体例に司馬遷を求めたい。「史記」とは事実に忠実に、そして淡々と、克つ主観を交えずに書かれたものである。

これが純・歴史学であろう。

この「日本外史」という著作は幕末、競うように読まれた。

そのために、明治初期に実証主義といわれる研究者たちが現れるまで「日本外史」の伝説的な歴史は信じられていたのだ。

これを破った人物が重野安鐸である。彼は薩摩出身の歴史学者であるが、ここでは彼に触れない。

さて、この日本外史は歴史学に基づいてみると、江戸幕府が開かれるところまでのようだ。

本書では10代将軍・家綱の時代まで扱われているようであるが、どうやら後半は歴史ではなく人事のようだ。

さて、よく言われることは楠木正成の伝説的な活躍などが有名であるが、

もうひとつ見逃してはならない事がある。

「鎖国」についてである。

鎖国については1637年の島原の乱に前後してその体制を確立させた。

しかし、頼山陽の「日本外史」についてはそのことに一切触れられていない。

当時の草莽の志士たちは、鎖国があたかも神州始まって以来の古法であったと認識していた節がある。

この例ひとつを挙げても、当時の人たちの自国の歴史に対する認識の甘さが窺える。

当時攘夷を掲げて東奔西走した志士たちを見ていると多少滑稽であるが、

ともかく頼山陽が志士たちに与えた影響というものは多大であった。

例えば、御陵衛士で伊藤甲子太郎の弟である三木三郎という人物がいるのを御存じであろうか。(鈴木三樹三郎とも)

彼は安政の大獄で処刑された思想家の一人・頼三樹三郎に傾倒しており、そこから名を頂いた。

他には徳川慶喜は鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れるとさっさと大阪城を捨てて江戸に逃げ帰ってしまった。

これは歴史を意識したもので、「日本外史」においては(というか後期水戸学)足利尊氏は大逆の叛臣であり、

それを意識してのことであろう。

彼の思想的行動も「日本外史」という著作を抜きには理解することができない。