吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

3年後期第7回ゼミ活動記録

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こんにちは、福嶋です。
後期に入って2人の交換留学生を迎え、12月には台湾から短い間でしたが留学生を迎え、いよいよ吉田ゼミの国際交流色が強くなってきたように思います。笑
国際日本学部って感じがして良いですね!

大変遅くなりました、第7回ゼミ活動の記録です。

第7回は司馬遼太郎著の『世に棲む日日(一)』について議論しました。
レポーターは折田さん、司会は木下さん、書記は福嶋でした。

高杉晋作や久坂玄瑞を始め幕末期に非業の死に倒れた者、また伊藤博文を始め明治維新後まで生き延び新政府高官の地位に就いた者。その多くを輩出した松下村塾の創始者、吉田松陰の年少期から青年期にスポットを当てた『世に棲む日日』の第一巻。

個人的な感想としては旅、旅、旅…
寅次郎は何処まで行くんだ、と言いたくなるくらいにひたすら旅を続けている印象が強く残りました。しかしこの旅での友人、師匠との出会いによって彼自身が影響を受け後の松下村塾での教育に繋がることは言うまでもありません。

今回の議題は「吉田松陰の人物像とは」
議論の中でまず挙げられたのが松陰の持つ「温厚さと過激さ」でした。
婦人的な優しさを垣間見せる場面があれば、極端な行動に出る場面もありました。例えば共に東北旅行に出、兄の敵討ちをすると言って分かれた友人のために彼の遺文を集め大和の師匠の元へ行くなどの友人思いの面があれば、友人との約束を守る為だけに脱藩を決意する、または自分の師匠であっても意見が違えば見限ってしまうといった極端な面がありました。
この2点が彼の性格の中核となっていたようです。

また彼の知識欲についても議論になりました。
幼少の頃から明倫館の教授として教壇に立ち、人に教授することで満足するのではなく彼は常に新たな知識を求めていました。そのために全国各地を遊歴し直接著名な人物に会い、その知識を磨きました。
議論好き、遊学を許可するなど勉学を奨励する藩風だった長州藩に育ったことは松陰にとって幸運だったようです。

松陰はゼロから物を作るタイプではないという意見から出た松陰と龍馬との比較がありました。
龍馬は知識を得たらそれを元に創造する。
松陰は得た知識を人に教える。そしてまた自分も学びたいと思う。
松陰が育て、知識を授けた高杉や久坂と同年代の龍馬が新たな物を創造した。この流れが個人的に面白いなと思いました。

全体のまとめとして、
学ぶことに対して恵まれた環境、また楽観的な家庭の中で素直に育ち、学ぶ意欲が旺盛な人物だった。
という人物像でした。

今週は第二巻に入り、話の主人公は松陰から門人の高杉晋作に移ります。
遅くなった上に短い記録ですみませんでした。
今日の議論も張り切っていきましょう!

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