吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

3年後期第九回ゼミ活動記録

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新年になりましたね。皆さん今年もよろしくお願いします。藤本です。更新が遅くなってしまってすみません。

さて、今回は「世に棲む日日」の三巻です。レポーターは中村(美)さん、司会は中村(枝)さん、書記は藤本でした。中村さんのプレゼンでは、井上聞多、奇兵隊、伊藤俊介などの人物について説明をしてくれました。また、長州藩とは、一つの思想団体でとらえられ、政治的な面では俗論党(佐幕派)と奸臣党(松下村塾門下生派)の二つの派があり、その二つの政党が政権を争っているとまとめていました。高杉については、長州は滅んでもかまわないという姿勢だが藩主は守るという考えをもっているとまとめてくれました。

議題は、「①晋作にとって、忠誠を誓う藩を壊してでも得たかった、求めたかった新世界(革命)とは – 何から影響を受けたか、晋作にとっての革命、長州にとっての革命」「②松陰の狂を引き継いだ志士たちが目指した日本とは – 藩として、国として」

議論では、三巻の内容は多くの出来事に触れられていたため、それを整理しつつ話を進めていきました。まず、攘夷から開国という転換には何があったのかについて考えました。それは思想ではなく政策としてで、焼き討ちなどの具体的な行動は幕府への不満を示すものだったという意見が出ました。また、高杉にとっては上海への留学が影響を与え、開国するしかないという考えになったのではないか、尊王攘夷と倒幕が密接になっていたためではないかという意見もありました。

それらを踏まえたうえで、①と②の議論に進みます。第二巻では「狂」とは何かといった議論がありましたが、その延長線上で考えると、狂には二種類あると結論が出ました。一つは松陰からの狂で、ここぞという所で自らの命を捨てるという様。もう一つは、そこから派生して頭がくるっている様。この二つの違いは前者(松陰)の死には意味があったが、後者の死には意味がなくただの死であるということです。また、今回の議論の重要な点は「尊王とは」ということ。長州藩は尊王攘夷運動がさかんな藩で、それは松下村塾門下生に大きな影響を与えていました。その尊王を実行するのには幕府の存在が邪魔で、まっすぐ尊王に向かっていく中で幕府は眼中になくなります(蛤御門の変)。そうして出た第三巻のまとめは、「すべての根底には尊王があり、尊王の名の元に松陰の「狂」を引き継いだ晋作たちは倒幕へのむかっていく」となりました。

次回はいよいよ最終巻です。そして3年最後の議論になります。一年間の集大成となる議論ができるといいですね。

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