吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

4年ゼミ記録未掲載分

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えーっと、実は今年度初書き込みなのでまずは未掲載分を簡単ではありますが載せておきます。

まずは前年のラストを飾った “世に棲む日々(4)” レポーター:小久保ンヌ 司会:フジモン

議題は「高杉晋作の功績」ということで・・・

チェ・ゲバラと晋作似てんじゃね?ってとこから松陰と晋作の比較、倒幕思想の大まかな流れなどを考えていきました。

松陰の革命的ロマン主義に対し、晋作は合理的精神を持っていた。最近の討論でも現実主義の河井継之助と対比してしょっちゅう松陰が登場いたしますね。

簡単な略図にいたしますと・・・

1、種をまいた—吉田松陰

2、実行に移した—高杉晋作

3、後処理—伊藤博文

ってな感じで。この図はⓒ高橋です。

 

はい、次が前回の4年初回活動 “峠(上)” レポーター:カオリン(祝)司会:フジモン

議題としましては、

1佐吉少年から見た継之助

2継之助にとっての“越後長岡藩”

そもそも河井継之助ってどんな人?ってことで、

・一種のナルシスト—「俺がやればうまくいくのに・・・」→嫌味じゃない

・金銭的余裕のある家柄→自由なことが出来た(江戸遊学)

・インプットのみの学問(特に陽明学)→師には向かない

・愛されキャラ(すべて本音で話すため)

などなど・・・とにかく何かやってくれそう、自身に満ち溢れてるな、といった印象や他人とは違う何かを感じさせる雰囲気が佐吉の心をつかんだのでしょうかね。

継之助の「幕府と徳川家は違う」という考え方はこの議論において重要だった気がします。徳川家には忠誠を誓いながら、幕藩体制は認めない。西国出身だったら倒幕運動に身を投じていたと言うほど幕藩体制自体には見切りをつけていながら、仕えた藩主は譜代大名牧野家・・・そんなジレンマの中彼が選んだのは、長岡藩を独立中立国に仕立て上げることだったわけですね。

 

といった感じで、未掲載分の書き込みを終わりマース。

 

 

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