吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

4年前期第4回ゼミ活動記録

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先ほど未掲載分の記事に記名を忘れてました。4年吉田ゼミ体育会系担当ゼミ長小谷です。

生ビール最高!!というわけで、3年生もよろしくです。

ようやっと本題です。ちょっと前の話ですが、今年度の初回の授業では、先生から漫画に見る時代の風潮の講義を受けました。非常に興味深かったです。

やっぱり日本マンガは勧善懲悪スタイルが良いんですかね。海外のホラー映画なんかを観てるとまー報われない報われない。 FINAL DESTINATIONシリーズとかは良い子の皆さんは観ちゃダメですよ。やっぱり今のマンガのトップってONE PIECEなんでしょうか。あれはワードがいいです。個人的なおススメはGIANT KILLING(講談社刊)。プロサッカーの監督の話です。そんなジャイキリから主人公・達海猛の言葉を借りて・・・「自分達を信じろ!!迷ってたら、喰う前に喰われちまうぜ

今回は “峠(中)” レポーター:高橋アツヒメ将行 司会:枝 記録:小谷

*議題

1近代的な軍隊の形成に対し、長岡藩および諸国の武士たちはどのような心情であったか。

2継之助にとって長岡藩に属すとはどういうこと?

そもそも近代的軍隊というとここで出てきたのは、洋式・調練・銃といったワードでしょうか。

調練ということですが、今までは戦というとぶっつけ本番だった日本。しかしそれでは個々人の力量に頼るところが大きくなってしまいます。腰抜けが何百人も集まった集団よりも、数十人の死を覚悟した勇敢な者達のほうがずっと強いわけです。体が反応するレベルにまで鍛え上げれば、それが本番での恐怖心を凌駕するんですね。

しかしながら、これに反発したのは藩の上士たちです。「身分が下の者と同じことができるか!!!」というわけですね。

銃に関しても、従来銃を持つのは足軽の役目でした。したがって「武士たるもの足軽などと同じものが持てるか!!!」というわけです。いやあ面倒です。武士。

武士における“刀”に対する一種の信仰心のようなものは他の身分には見られない特別なものですからね。帯刀することがいかに尊いことか・・・分かっていたって彼らにもプライドがありますし、そう簡単に捨てられませんよね。戸惑い、ジレンマ・・・継之助同様、彼らも悩み苦しんだことでしょう。そういった不安も相まって、“周りに合わせる”なんていう安全策を取ろうとした藩が続出したのでしょう。

結論としては「洋式軍備の必要性を感じながらも、帰属意識の強さから先鋒的立場になる勇気を持たない」という感じで。

2番目の議題の結論は「河井家に生まれたから」ということでさらっと流しますwww

時代峠”—今回の重要語句です。峠の頂上を境に近代と前近代に分けますと、その頂上で空を仰ぎ見ているのが継之助、近代のほうへすでに歩を進めているのが龍馬、前近代の側にいながら峠自体が近代へと流れてしまっているのが新撰組、というか歳三。

ここで端的に継之助の考えを表すと、「近世(武士として)の考えを守る手段としての近代文化」といった感じ。

あ、福沢諭吉でてきましたねー考え方は非常に継之助に似ていますが、あくまで似て非なるもの。立場が違います。継之助は藩の一家老ですが、福沢は外国方の幕臣。また、福沢はその目で外国を見てきているという点でも継之助と大きく違います。

もしも継之助が幕臣だったら・・・明治維新は遅くなったいたかも!日本は史上最大の軍事国家になっていたかも!

歴史に“もしも”はありませんが、考えるのは自由です。おもしろいです。これからもどんどん議論しましょう!!!

余談ではありますが、この本の中に出てきた「刀をまたいではいけない」という話。これは私のやっている剣道においても刀を竹刀に変えて引き継がれております。武士の世は終焉を迎えましたが、その根本にあった精神はこうして現代日本へと受け継がれているんですねぇ。こう、何事もプライドを持って取り組むことが大切だと思います。かの尾田栄一郎先生も言ってました。「全部自分で考えた!という自信が欲しいんですね。人に頼ったらまた次も人に頼っちゃうと思いますし、失敗したら人のせいにすると思います。うまくいったら自分の実力、失敗したら自分のせい。」この考え方ってまさに継之助なんじゃないかなー

長々と話してしまいました。とにもかくにも“責任”って感覚が、武士道の根本だと思います。あくまで持論です。面倒だなんて言いながら好きですよ。武士。

ところで、鳶色ってどんな色?

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