吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

4年前期活動報告

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日がだいぶ空いてしまいましたが、活動報告をさせていただきます。どうも、こんにちは。最近の秋らしい空気に癒されている、中村美です。

それでは、活動報告を始めます。私が担当したのは、なんと3回分!!約4か月も怠っていました。大変申し訳ない・・・

1つ目は、歳月(下)6月20日にやりました。レポーターは、えみり/司会はかおりちゃんでした。物語は、江藤新平を中心に進んでいきます。この時の議題を“江藤はなぜここまで大久保の憎しみをかったのか”と設けていました。皮肉にも江藤は自身が導入した手配写真の制度により捕まってしまいました・・・。さらに、さらし首にされるという当時を考えると大変ショッキングな事件になったと考えられます。

小説の中で、“江藤に対する処刑はできるだけ惨刑であることが望ましい(p. 409)”に触れながら、大久保の心情を探っていきました。大久保の立場からすると、苦労して作った明治政府を江藤(士族たち含む)に潰されたくはなかったのではないか・・・。士族の不満を佐賀の乱へと導いた江藤新平をどうにか静かにさせなければならなかった。そのために、江藤を捕え、さらし首にし国民(不平士族や西郷)に対する見せしめとしたのではないかという話になりました。当時の不平士族の数は約180万人。180万人分の不満を紛らわすために、一人の思想家である江藤の首をはねた・・・という結果になりました。

 

新聞制度が1871年(横浜毎日)・74年(東京日日)に整っていたことがわかりました。江藤が処刑されたのが1874年であったことを考えるとあくまで推測ですが、さらし首の写真を新聞に載せることを大久保自身が考え、国民全体に対する見せしめの形をとっていたのではないか・・・。大久保の恐ろしさと明治政府に対する思いの強さを感じました。非常なぐらいでないと国を回せない。どこか納得してしまいます。国を思い、天性の才能(官僚をつかいこなす才)を持っていた政治家だったのでしょうか・・・。

今の政治・政治家について考えるきっかけになりました・・・。

 

次に続きます・・・

 

 

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