吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

2011年1月21日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第15回)

 どうも。

 常に競馬のことを考えている須山です。ちなみに、競馬についてならぬまたんの歴史並に喋れる自信があります。今日の飲み会でも危うく暴走しかけました。

 本日で今年度最後のゼミでしたねー。ゼミ記録も一旦終了と。てきとーになった時もちょいちょいありましたが、少しでも何かの役になっていたら幸いです。

 

 ◎本日の議論

 最後の議論も無事終了。突然司会を任せてしまった末永君、ありがとう。

 以前先生からいただいていた問題提起について。有名な龍馬の手紙の「今一度日本を洗濯いたし候」というフレーズの、「今一度」とはどういうことか、「洗濯」とはどういうことか考えてみるということで、「戦国時代から江戸幕府の治世への“洗濯”が1回目、それに対する「今一度」という言葉」という意見と、「その言葉自体に意味はない」という意見が出ました。たしかに、現実的に考えれば龍馬達の時代の人間に現代ほどの歴史意識はなかったように思うので、「今一度」というのに大きな意味は込められていない。もしくは、吉田松陰のような攘夷運動の先達者に対する「今一度」なのかもしれませんね。

 ただ、歴史を俯瞰で見ることができる現代の僕らにとっては「戦国時代~」の方の見方も大事なんじゃないでしょうか。今日の議論でも少し話題になった(途中で打ち切られた!)世界的帝国主義時代と明治維新後の日本の話もそうですが、そういった長いスパンで幕末維新期を捉えることは、1人の偉人や事件、思想に注目することとはまた違って、維新の意味を考える一つの足掛かりになるのではないかと思います。

 ていうか、帝国主義時代と明治維新の関係についての話は個人的にとてもそそられる所があるんですよね。それこそ歴史の知識をもうちっと入れないと厳しいですが、そこはぬまたんの力も借りてどうにかっ。来年度の議論の中で、そこについて考える機会があれば嬉しいです。

 その後は幕末維新のポジティブな点、ネガティブな点の再確認と大感想大会。締めにふさわしい。イイ終わりであったと思います。来年度もよろしく。

 ◎来年度について

 来年度について軽い提案をいくつか。

 来年はこのゼミ記録をみんなで回してやろうかと思います。僕自身、これを書くことで議論の内容をもう一度脳内で確認すること、思案することにとても役立ってる実感があるので、みんなにもやってみてもらいたい。また、議論に集中する一つのきっかけにもしてほしいです。

 他にもゼミ員紹介やら、何やら少しずつグレードアップさせていって、更新頻度の高い活気あるホームページにしていきたいですね。そいえば、後輩達もこのHPを共有するのかな?後輩のゼミ記録も読んでみたい気がする。

 ゼミ合宿についてなんですが、飲み会の時に太郎からとっても魅力的な案が。合宿は二回行って、その内一回はセミナーハウスで3、4年合同の大レポート発表会。後輩との交流と勉強方面に力を入れて、ですね。もう一回は、今までやってきたようなお気楽旅行。こっちはもちろん3、4年別で好きなとこ行きましょうって感じです。

 どうですかね?僕はとってもイイと思います。ま、具体的な話はまだ先のことですが、実現できたらいいかなーと。

 それと、個人的なことなんですが、飲み会とか就活に関する企画とか何かやりたいことがあったらみんなの方からドンドン言ってくださいね。今日のゼミでも言いましたが、僕はどうもそういうことを自分から「やりたい!やりたい!」というタイプの人間ではなく、そこんとこはお恥ずかしながら全くゼミ長らしくないんですよ。もうみなさんわかってるとは思いますけどねw ただ、そういうことがやりたくないってわけじゃないので、提案があればもちろん協力します。是非、ゼミのつながりをご活用ください。

 ◎本日の飲み会

 今日の飲み会も実に少人数でしたが、イイ飲み会でした。来れなかった奴は損をしたと言ってもいいぐらいでしょう。

 先生、本当にイイ話をありがとうございました。その内容については僕の脳内メモから再現できる限りここに書いてみるつもりです。今日はちょっともう遅いので、明日か、余裕のある時にでも。

 ※まとまった時間が無く、飲み会での先生の話を書くは月曜になりそうです。すいません。(1月22日追記)

 とりあえず、今日はこの辺で。

 あ。ぬまたん。そういう歴史考察、ここにドンドコ書いてください。すんごい刺激的で面白い。ありがたい。

須山。

2011年1月20日
から 沼野 晃
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維新2

本日で最後のゼミとなりました。大変お疲れさまでした。御存じかも知れませんが、私沼野は常に歴史のことを考えております。

最近ひらめいた維新についてお話します。

「明治維新はなぜこうも短期間で成立してしまったか」。このテーマは1年やそこらでは解き明かせない大きな設問でしょう。

明治維新という一連の改革の中に「版籍奉還」更には「廃藩置県」があります。

近代的な中央集権国家の成立のカギとして、上記の二つが速やかに行われたという事実を踏まえなければなりません。

当時の日本は一つの大きな国家ではなく「藩」もしくは「天領」そして多少の御料所が存在し、犇めき合っていました。

「廃藩置県に際しては薩長土から1万の御親兵が供出され、武力を背景に半ば強制的に領地を召し上げた」。

一般の教科書ではこう書かれているでしょう。しかし自分は、実際は違ったと考察しています。

では何がその根底にあったかと言うと、先進的な西洋文明に対して「畏怖」と「憧憬」、この二つを含有した言葉が当時の人々の共通思想であったと愚考します。

「思想」というと語弊があるかもしれませんが、つまりは直感で感じ取る共通認識だったと思われます。

「近代化をなさなければ、植民地にされる」。すこし極端かもしれませんが、端的に言えばこういうことです。

半ば諦めの気持ちを持って大名たちは藩を手放した。

当然要因はそれだけではないでしょう。以下3つを挙げます。

・戊辰戦争で財政が圧迫されていた。

・藩主は華族として東京での暮らしを保障されていた。

・徳川幕府の封建制度のシステム自体が満期を迎えていた。

という側面的な背景もあるでしょう。しかし、これらだけでは説得力に欠けますし、直截の要因にはなりません。

廃藩置県の際にはただ一藩すら反乱に踏み切らなかったことに着目してください。

廃藩置県には御親兵1万が動員されたといいます。この数は、数字のみでは大軍だとはいえません。(当然この雄藩三藩は近代装備ですので戦力的には問題ないでしょうが。)

他に目を向けます。例えば幕末では「眠れる加賀藩」と言われた加賀百万石の前田家。

中世においては、1万石でおよそ200から300の兵士を動員できると規定されています。つまり加賀藩では、この計算法に依ると2、3万の軍勢を動員できることになります。

当然安土桃山時代の計算と幕末でのそれは違います。しかし、御親兵と対等に渡り合えるだけの兵力を有するという事実だけは確かです。

さて、加賀藩は当然一例にすぎませんが、なぜどの藩も近代化への反発というものがなかったのか。

それは先ほども述べたように、西洋文明の普遍性への「畏怖」と「憧憬」でしょう。

当時の人々にとって、「富国強兵しなければ日本は滅びる。」というものは共通認識であったといってよいでしょう。

歴史を俯瞰できる我々は、当時の世界情勢を知り、さまざまな要因から日本が植民地化される可能性は低いということを知っています。

(セポイの乱によるイギリスの植民地政策の転換、アヘン戦争やアロー戦争、南北戦争、ヨーロッパ人が中国(清)市場に着目していたことなどなど)

しかし、当時の日本人はそうはいきません。入ってくる世界情勢の情報量としては決して少なくありませんでした。しかし、当時としては日本人は西洋がアジアに加える脅威を目の当たりにし続けました。例えば、19世紀初頭からロシアの南下に脅威を感じ続け、加えて、アヘン戦争などは逆に当時の人々にとって「次は日本だ…」と思わせる逆の要素にも加わりました。

ロシアの南下に関しては、ロシア軍艦対馬占領事件や、千島樺太交換条約という強硬な外交政策がそのまま日本人の恐怖(というよりは危機感)となっていました。

以上の要因が版籍奉還、廃藩置県をスムーズに行わせる最大の要因であったでしょう。

日本は島国です。なのでより一層、西洋文明とはどのようなものか、その実態をつかめずぼやけて日本人の視野に写ります。

なので近代化への進歩の欲求というものは、半ば脅迫観念となり、当時の人々を動かしたのでしょう。

これに似た具体例を、自分は律令国家の成立と重ね合わせることができます。

律令国家の成立とは仮に大宝律令が制定された701年だとしましょう。

この大宝律令を以てして初めて日本は統一国家の様相を成しました。それまでの大和政権はどのようなものかと言うと、諸豪族の連合政権でした。

その代表者が大王(おおきみ)として一応頂点に君臨します。しかし、それは飽くまで代表なだけでした。

そこに唐風の律令制度というものが導入されます。

律令とは行政法です。なのでそれまで諸豪族が有していた農地や農民を悉く国家が所有し管理するというシステムです。

日本史を勉強してきて、この律令制度に反発したという痕跡(考古学的な)や筆跡(史学的な)ものは見当たりません。

これも明治4年の日本同様、当時の人々は「唐や新羅も律令国家(すなはち文明)」という概念があったのではないでしょうか。当時は当然中国が日本にとっての文明国だったのは言うを俟ちません。

なので豪族たちはなかば諦めて土地や人を手放すに至ると。私はこう愚考します。

以上維新について思ったことを、そのまま綴りました。

2011年1月15日
から 須山
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今週のゼミ記録(後期第14回)

 どうも。そうです。私がゼミ長です。ゼミの記録を書きます。

 今週の課題は司馬遼太郎『歴史の中の邂逅4』でした。今までの作品とは違い、あとがき的なものを集めた本。司馬さんが作品書きながら思っていたことが見え隠れして、単純に読んでいて楽しかったです。他の巻も読みたくなりました。

 議論の方は司会の荒井君がここにきて新しい形を提案!いや、でもイイ感じでした。討論的になって盛り上がったし、ああいう形の方がみんな発言しやすいのかも、と思いましたよ。

 来週は一応「坂本龍馬」という大人物をテーマに、総合議論的なものをしたいと思っています。細かくは明日にでもメーリスを回すつもりですので。

 やっつけですが、考えて書き始めるとキリがなくなっちゃうので、忙しい本日はこの辺で。後日加筆アリかも。

 来週は3年最後のゼミです!もちろん来年度もあるのでまだ終わりではないですが、イイゼミにしてスッキリと一旦の区切りをつけましょう。そして、就活という死闘へ。

須山。

2011年1月5日
から 吉田 悦志
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おめでとう!

みなさん、おめでとう!吉田悦志です。

いよいよ、4年になりますね。みだりに悲観もせず、みだりに楽観もせず、確実に努力を積み重ねて行きましょう。司馬さんの『歴史のなかの邂逅4』、面白くてしかも為になるよ。是非読了してゼミに参加して下さい。今、目の前にある課題を、将来に向けてこなして行く事が、一番大切です。〈坂の上の雲〉を見上げながら、階段を一歩一歩、着実に踏みしめて、登って行きましょう。

撮影/悦ちゃん

2011年1月5日
から 須山
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あけましておめでとうございます。

 もう三が日も過ぎてしまいましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 2011年ですって。いやぁねえ。もう最終学年になるとか、変な感じがします。

 まあ、今年も一年イイゼミ、イイ読書、そしてイイ競馬を。

 今年の競馬は今日から開催だったんですけどね。毎年必ず中山金杯と京都金杯っていう2つの重賞レースで始まるんですよ。「一年の計は金杯にあり」なんて言われます。まあ、僕は予想大ハズレかましてやりましたわ。(買ってはいない。)

 いやー。でも、ダービーの頃には就職決まってるのかー。いや、決まってないとやばいのかー。イイ気分でダービーに臨みたいですよね。

 まあ、それぞれ色々大変だー大変だーって感じなんだろうと思いますが、適度に頑張りましょう。

 失礼します。(競馬のゼミみたいになってるけど。)

2010年12月24日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第13回)

 なんということでしょう。本日のゼミ記録です。なんということでしょう。

 今年最後のゼミだというのに、人数の少ないこと。来月、3年最後のゼミは全員出席してくれるよう願いますよ!

 ということで、今日の課題図書は池波正太郎の『西郷隆盛』。一年間ほど歴史小説を扱ってきましたが、池波さんも西郷さんもお初。議論の方は、割とみんな発言できていたし、まとまりもあったと思います。

 

 結論的には、西郷さんという人は私心や野心が無く、自分がどう思うかとか、それが良いか悪いかということより、目の前にある問題・課題を打開することに命を懸けた自己犠牲の人で、そういう姿勢であったからこそ大きな政治的問題だけでなく、庶民の悩み(農業関係とか)にもしっかり対応したり、「お金がない」というような私的な悩みであっても「じゃあ、このお金あげる」と応えてあげられる。それが誰からも愛され、信頼された西郷さんの魅力であり、特色だったのだろうということでしたか。

 最期の戦いになる西南戦争も、大久保達新政府が描いた新しい国家をしっかりと築かせるためには、自分と薩摩軍という“維新の象徴”を乗り越えていかないと、それを打ち倒すことで新政府の力を誇示させないといけないんだ、と考えた結果起こった、というか起きないようにしなかった戦争だったと解釈すれば、哀しいぐらいに究極の自己犠牲なんじゃないですかね。

 そして、池波さんが作品の中で書いている「真の政治家」というのは、まさにそういう自己犠牲の姿勢で、私心・自分の理想のためでなく、誰かのために、国・国民のために動いていける人のことなんじゃないかという話も出ました。そう考えると、やっぱり今の政治家って・・・・と感じますよね。

 でも、こういう姿勢というのは逆に言えば、「自分のヴィジョンがないということ」というのは先生のお言葉。他の人が持ってきた課題、どこかから湧いて出てきた問題に私心を捨てて取り組む一方で、その先に何を見ていたのかがわからない(あえてその先なんか見ていなかった可能性も)から、現在西郷さんを考えてみても何か「西郷といえばコレ。」というようなしっかりしたイメージは湧かず、茫漠としたイメージになってしまうわけですよね。だからこそ、逆にそれが過ぎたほどに冷静で現実的だった大久保とのコンビが素晴らしかったとも考えられます。二人が揃ってはじめて、先見性や計画力、悪く言えば策謀、そしてその実行力が最大限に活きて、とんでもないパワーを生んでいたのかなと。近藤×土方だった新撰組を同じように。 そういう西郷のフワフワした部分っていうのは、他の幕末偉人らと決定的に違うところだと思います。

 まとめとしてはこんなところでしょうかね。まとめてみても今日は筋も通って、的を射た議論ができてた気がします。良かったです。

 では、そういうことで今年のゼミ記録はこれでお終い。次の更新は年明けて2011年になります。

 1月13日が次回のゼミですね。だいぶ先だ。テーマとしては『総合討論』です。最後になりますから、全部まとめて喋りましょう。議題の一つぐらいあった方がと思うので、後日何か考えてメーリスでも回す予定。みんなも何か「こんなことで議論してみたい」「こんなことに関してみんなの意見を聞いてみたい」ということがあれば、メーリス回しちゃってくださいね。

 では。よいお年を。

須山。

2010年12月17日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第12回)

 今日の課題は『桜田門外ノ変』下巻でした。

 ホントは水戸学についてレポート作れたらよかったんですが・・・なんか色々やってたらいつの間にか水曜日になってました。そのせいもあって先週からそれほどの議論の発展はなかったですかね・・・でも、先週も含めてですが、“桜田門外ノ変”っていう今まで扱ってきた人物や事件とは一味違った難しい出来事をテーマにして議論できたのは良かったんじゃないかと思います。経験としては。

 あと、今日はなんか最後の方1人で喋ってしまって、すいませんでした。

 最初喋ってた僕自身の考えみたいなのは、どうでもいいです。忘れてやってください。なんか議論も詰まってきたし喋ってみるかな、ぐらいのきっかけで喋り出したので全然まとまってなかったと思いますし。まあ、でも、もう一年近く幕末に関する本を読み、議論をしてるんだから、何かしら自分の中に新しい考え方とか、学んだこと、得たことの一つぐらいあってもいいのかなーとは思うところです。

 モチベーションうんぬんに関しては、少し考えてみてほしいかも、ってところです。いや、別に「お前らやる気ねえな」って言ってるわけじゃあないんですよ。それぞれ忙しいのはもちろんわかっているつもりですし、その中で最低限のことはやってきてくれてると思いますが、個人的に毎週ゼミをやってる以上は、それなりにやる気を持って、それなりのレベルの議論を、“みんなで”していきたいなーとは思っているので、ああいうことも言ってみたんです。

 僕はゼミ長ですけど、単に「お前らもっとやる気出せよ。ちゃんとやれよ。」みたいなことはあんまり言いたくないんですよね。そういうこと言われて出したやる気って、結局長続きしないし、ちょっと嫌々な面があるのでね。だから、それぞれが、それぞれ自身で何かしらのモチベーションを見つけてみてほしいって感じです。

 それも、ただ「取ってるんだからゼミちゃんとやんなきゃ!」とか、それこそ「ゼミ長がああ言うから頑張らなきゃ」みたいなことじゃなくてね。僕自身が、そういうただ「やる気出せ!」「一生懸命になれ!」みたいなのって昔から嫌いなんですよ。必要性とか、価値とかを自分の中で感じれないとダメっていうか。現実的・具体的なモチベーションを持った方が、気持ち良く物事に臨めると思うんですよ。「ゼミでやってることって○○に役立つんじゃないかな」「ゼミを通して○○を鍛えたい」「ゼミの○○が楽しいから」みたいなね。そういうものを各々を見つけられたら、無理せず自然ともっとイイ感じの議論なりができるんじゃないかなー、と思う次第です。

 

 まあ、なんか今週は本から離れた内容になってしまったんですが(自分のせい)、大目に見てください。

 来週は、池波正太郎『西郷隆盛』が課題です。ちゃんと本に沿った議論をするつもりなのでご安心をw

須山。

2010年12月10日
から 須山
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今週のゼミ記録(後期第11回)

 先週分さぼってしまってすいませんでした。ちょっと日が経ってから書こうとしたら、頭の中で全然まとまらなかったんですよねー。

 今週は書きます。

 今週の課題は吉村昭さんの『桜田門外ノ変』上巻でした。ちょうど一カ月前ぐらいにみんなで映画を見に行った作品でもありますね。

 まあ、桜田門外ノ変という事件そのものは作品の中で描かれているわけなので、レポートは井伊直弼について。ホントはもう数冊の本から情報集めたり、事件の大元とも言える「水戸学」についても調べたかったんですが・・・いかんせん急仕上げだったもので。来週余裕があったらその辺に関してもレポートー作ってくるかもしれないです。

 個人的には井伊直弼がどういう生涯を送ったのかを知ることで、彼のイメージがガラリと変わったんですが、みなさんはどうだったでしょうかね。議論していた感じだと、少なくとも独裁的で愚かな井伊直弼のイメージはなくなったのかなと思います。

 身分制度への固執や、幕府中心主義はたしかにあるものの、彦根藩主としての藩政改革は立派ですし、彼の独断だと言われるような開国や条約調印の問題も決して彼一人での判断ではなかったことを考えれば、中学や高校で習ったような“悪の親玉”的評価は、その後の歴史の流れ・結果だけから判断した軽率なものと言えるのではないでしょうか。

 

 また、井伊直弼という人物を考える時に、レポートにも書いたように彼が生涯好んだ「柳」というものには注目すべきかな、と思います。というか、僕は参考にした本を読んだ時にそう感じました。

 柳も木なのでもちろん根がしっかりと張って、幹もきっちり立っているわけですよね。しかし、あの特徴的な枝葉は、「柳に風」と言われるように、風を受け、それに逆らうことなく流れる、と。これを井伊直弼に当てはめると、「幕府を強くしよう」という信念、根幹をしっかりと抱いているものの、頑なにはならず時勢や環境の変化に対応していく柔軟性を持っていた、という風にも考えられます。

 それをふまえれば、事実として圧倒的な軍事力を有していた外国に対して開国を認めたことも、一言「弱腰」とかたづけることはできないのではないでしょうか。その他の政治的判断もこういう考え方に基づいたものだと考えれば、その判断が成功したかどうかは置いといて、彼が愚鈍で言われるがままの大老だったという評価はできないと思います。

 たしかに、そこが焼け野原になっても毅然として立っているような木、新撰組のような信念を貫く生き方やそれに伴う決断もとんでもなくかっこいいと思います。が、日本人が柳を見て「風流だねえ」と言うように、自分の信念は持ちつつも、柔軟に対応・判断をしていく生き方もとってもかっこいいし、そういう決断をすることも、信念を貫くことと同じぐらい重く難しいことなんじゃないかと思います。(だから、僕は「慶喜かっこいい」と思うんですよね。)

 こういう風に一人の人物に対しても、どんな知識を持っているか、どういう視点から見るか、評価する自分自身の価値観はどんなものかによって、様々な見方や評価が下せるのは歴史の面白さであり、難しさかもしれませんね。 しかも、幕末っていう時代は、時代の混乱と同じように、様々に評価できる人間がグチャグチャと言ってもいいぐらいたくさんいて、しかも、その各人物たちへの評価や見方が、また他の人物の評価や見方に影響を与えたりするから、またグチャグチャしてややこしい。でも、そこを色々な視点を持って考えていくことが面白いし、もっと言えば、評価なんかを置いといて考えても、人物それぞれの信念とか考え方、生き方っていう部分がとてつもなく奥深い。そういうことを考えているだけでも楽しい。

 で、肝心の桜田門外ノ変については、殺された井伊直弼の評価が難しい、というか色々な見方ができ過ぎるおかげで、議論の中ではうまく話がまとまらなかった所がありましたか。一時は「桜田門外ノ変なんて、もっと言えば大政奉還、明治維新なんてなくたってどうにかなったんじゃないの」という全てをひっくり返すような話にまで飛躍しましたものw

 しかし、先生が言っていた「結局、天皇を神の如く扱う水戸の尊王論と、天皇を幕権の一つの根拠として扱う幕府側の尊王論、二つの思想のぶつかり合いで起きた事件」というのはまさしくだと思いますし、そういう自分の思想のぶつけ合い、意地の張り合いみたいなレベルから脱し、日本という国のことを考えていた龍馬や勝のレベルからすれば、「この事件は体制内闘争」にすぎなかったのも事実かなと思います。

 とは言え、この事件がその後の維新への大きな流れのきっかけになったことはたしかですし、水戸的な尊王論の先に、薩長の討幕論、さらには龍馬の大政奉還論が出てくるっていうのも自然に考えられることなので、やはりこの桜田門外ノ変という事件自体が、井伊直弼同様、見方によっては評価の変わりかねない、難しい事件ですね。

 ま、その辺も含め来週は下巻までみんなにしっかり読んでもらって、もうちょっと議論できたらいいかなと思います。

 

 ちなみに、再来週23日は授業あるから。課題は池波正太郎さんの『西郷隆盛』です。

須山。