吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

2010年12月4日
から 沼野 晃
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維新

最近、すっげ-思ったことがあるんですね。
日本は維新に成功して近代国家を形成し得た。
日本は今度はアジアの近代化における魁たらんと欲した。
そして朝鮮などを開国せしめるに至った。(様々な過程があり不平等条約となるが)

このとき朝鮮も清も何世紀にもわたって支配してきただけに、王朝の腐敗というものが深刻に存在した。
(徳川幕府は腐敗により力が衰えて、と一般的には言うけれど、自身は全くそうは思っていません)

そこで両国は日本同様の革命が必要とされるはずなのに、それが成功しない。
それはなぜかというと、日本に於いては幕府を倒したら、もうひとつの受け皿として皇室というものが存在したからなんですね。
なるほど、李氏朝鮮にも清にもそれは存在しない。皇帝(≒天皇)自身が王朝を開いてるからです。

そこで彼らの国の改革者たちは、明治維新のように「下から上に及ぼす」のではなく「上から下に及ぼす」といったいわば宮廷改革たらざるを得なかったのではないか、韓土の孫文と謳われた金玉均や、湘軍軍閥の創始者、北洋大臣の李鴻章らがそうであったように。

それは金玉均が甲申事変におけるクーデターで、東学党に一切注目していないところなどそうではないだろうか。
つまり、革命は成功してもそれは改革には至らず、延々と中世に繰り返してきた政権交代の一つに他ならなくなってしまった、と。
(反面、朝鮮における反日感情というものは、文禄慶長の役の禍根を残しており、それが親日方針を取っていた金玉均の障害となってしまったという側面もあるのだが。)

焦点を日本に戻します、
なぜ日本は脱亜してしまうに至ったのか、それを考えるとどうも皇室の存在にいきつくんですよね。

明治維新に於いて新政府は天皇家という新たな受け皿を強引に担ぎ挙げる、良し悪しは別として超短期間で近代化を成し遂げた。

しかし、天皇家とはこの時すでに象徴的な存在になってしまっていた。

王政復古の大号令に基づいて天皇親政が再開されるに至るのだが、古代律令制以来、天皇が親政をおこなったことはない。

天皇家が親政を取ろうとした際には必ずと言っていいほど擾乱が巻き起こされている。

(後鳥羽天皇の承久の乱、後醍醐天皇の南北朝の争乱など)

中世以降、天皇家とは象徴的たらざるを得なかった、そうせずして天皇家の存在を保つことはできなかった。

つまり天皇家というものは、日本「神道」における最上位に象徴的に存在しているだけであり、言いかえると実質、大神主に過ぎなかったということだ。

この象徴的である天皇家というものを受け皿にして、当面の近代革命を果たすことはできたが、その受け皿が強引であったがために間違った国策を打ち出してしまったのではないかなと。

山縣有朋は、実質が伴っていない天皇というものを神聖という装飾を用いてカモフラージュした、それに起因するのではないか。

間違った国策云々に関しては見解によりけりですけどね。

それでも自分はアジアの近代化の魁となりえたのは幸運だったと思っています。

結局強大な軍事力なくして国の独立は保ちえませんからね。

明治維新について思ったことでした。

ぬまの

2010年11月26日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第9回)

 本日は『峠』の議論2週目でした。

 が、自分の発言から、何だかだいぶ『峠』から思いっきり外れた議論になってしまった感じが。司会とレポーターの人なんだかすいませんw いや。議論自体は良かったと思いますけどね。ああいう話もイイ。

 その発言の繰り返しにはなりますが、やはり歴史小説を読んでその内容や思想を、その作品の中、その時代の中だけじゃなくて、現代や自分自身に照らし合わせて考え、議論してみることはこれからやっていくべきだと思います。今までもなんとなくやっていた所はありましたが、ハッキリと明示はしてませんでしたからね。これからは意識していきましょう。

 描かれている出来事や思想に対する見方・考え方を広げる、議論の幅を広げるという意味はもちろん、そういうことをやってこそ作品を評価したり、そこから何かを学んだり、新しい考え方を得たり、逆に「これは違う」というような自分自信の考えをしっかりと持つことなんかに繋がるのかなーと思います。

 そうそう。議論の最後でうまく転がって、継之助の話に絡めることができたところは、議論の流れとして良かったのではないでしょうか。

 「情報伝達のレベルも低く、方言のせいで薩摩の人と東北地方の人が会話することすら難しかったことを考えると、やはり幕末期の人々にとって自分が帰属意識を感じる“国”は藩であったろう。そう考えると、継之助があくまで藩を強くし守ろうとしたこと、主君である牧野家の守ろうとしたことは自然なことであり、この人が特別に頑なだったとも言えないのかもしれない。」

 「藩が現代で言うところの“国”という状況であるなら、龍馬がしていた「藩から踏み出て日本全体を見る」とか「日本という立場で外国の脅威と向き合う」というのはつまり、現代で言えば「日本だけじゃなく地球全体、人類全体の利益を考える」だったり「地球に侵攻してくる宇宙に向かいあえ」というような感覚にも近かったのかもしれない。そこまでではないにしろ、それに近い感覚であったなら、むしろ変人なのは龍馬の方で、継之助の方が現実的な行動を取ったと言えるかも。」

 みたいな論議。イイと思います。まさに、“現代”っていう比較要素を持ち込んだからこそ出てきた見方でしょう。

 例えに使ったのがSFちっくでちょっと笑えましたけど、それもイイと思いますね。小難しい例えより、よっぽどイメージが湧きやすい。笑えてるってことは、それだけ頭でイメージできてる証拠ですから。それこそ、ゼミの中でも出てきた「頭の良い人の話ほど、分かり易い」ということじゃないでしょうか。天才的な人がいなくたって、みんなで議論していけば、そういうものが出てくるってわけです。それこそまさにゼミのイイとこ。

 来週の課題は、早乙女貢『竜馬を斬った男』です。一冊なので必ず読み切ってきましょう!

 あとスポーツ大会の打ち上げ兼忘年会も予定!楽しみましょう!

須山。

2010年11月23日
から 吉田 悦志
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2011年に向けての提案by悦ちゃん

やはり『翔ぶが如く』(文春文庫)全10冊と『世に棲む日々』(文春文庫)全4冊は読んでおかないと、吉田ゼミを卒業した事にならないよ!読破しようね。4年生最大の課題。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通を線で繋いでおかないと、幕末から維新が全体として理解できないからね。そして時間があれば,『坂の上の雲』までいくか!!

2010年11月21日
から 須山
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今回のゼミ記録(後期第8回)

 なんてこったい。木曜日に更新できなかったと思ったら、あれよあれよと土曜日だ。もちのろん、で議論の内容を覚えてない。

 とりあえず今回ではまだ議論がまとまらずという感じでしたでしょうか。来週も引き続きなので、各々どういう風に議論をしていくか少し考えてみるといいかもしれない。

 どうして議論が難しくなったのか。考えてみると、今までは「思想」とか「考え方」を見つけていくような議論をしていたように思います。まず本を読んでみて、「この人はこういう人柄でしたね。で、こんなこと成し遂げてます。じゃあ、どんな動機で、どんな考え方で、どんな思いを持ってそれをやったんでしょうか?」っていう議論。

 今回扱っている河井継之助はその点、すでに作中で思想とか動機がバッチリドドンと描かれているんですよねー。そこが大きく違うのかもしれない。まあ、今までは議論して見つけ出してきた部分が今回はベースにあるということは、うまくいけばそこからのもう一歩に繋がりそうですし、頑張ってみましょう。

 来週こそは、読んできてない奴いたら歯をゴリゴリやって人工虫歯にしてやりますよ。残ってる量が多いってのは言い訳にならない。まさに、自業自得。

 そうだ。23日はスポーツ大会ですね。やるだけやったりましょう。

須山。

2010年11月19日
から 沼野 晃
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峠についての発表を担当させていただきました、沼野です。
初めての書き込みです。
今回は、大きく分けて河井継之助の思想、開国に伴う経済問題、そして北越戦争についての3つについて調べてきました。
皆さんの議論の補助となったなら幸いです。

2010年11月14日
から hina
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ゼミフィールドワーク

ゼミ長がUPしてくれたように、今週の木曜日は桜田門外の変を見てからのゼミ飲み@幕末居酒屋でした。初のゼミメンバー写真UPです8D

いつもと違って少人数での飲みだったので、まったーり話しながら飲めて個人的には楽しい飲み会でした:-)

2010年11月12日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第7回)

 本日はイレギュラーな活動で、映画観賞!『桜田門外ノ変』を観ましたね。

 まあ、時代劇。題名そのまんま。維新の一つのきっかけである桜田門外ノ変が、どのように、どんな人が、どんな犠牲を払って行われたのかが描かれた作品でした。『龍馬伝』とかを見た人をターゲットに、「龍馬たちの活動のきっかけにはこんな出来事があって、こんな思いが込められていたんだよ」と、共感させるような感じだったかなー。

 井伊直弼襲撃シーンが変にカメラワークが固定されてて、淡々と、躍動感がなかったのも、虚しさを出すことで襲撃の凄惨さと犠牲の多さを強調してたのでは。と、ポジティブに解釈できないこともないかと。いや、やっぱり手抜きなだけかな・・・w

 そんで、映画の後はゼミで飲み会だーッ!ってことでしたが、まさかの先生入れて5人wこれはゼミ飲み会と呼んでいいのか!?

 まあ、でも、5人なりに楽しめたと思いますよ。ギャーギャーしてないのも、まあ、悪くない。件の幕末居酒屋もイイ感じでした。店中幕末一色。飯もかなり美味かった。高かったけどねw先生が少し出してくれなかったらおったまげなところ・・・先生ありがとうございましたー!

 来週は司馬さんの『峠』が課題図書です。全三巻なので、とりあえずのノルマは半分です。ほぼど真ん中なので、中巻の『藩旗』の終わりまでにしましょう。もちろん全部読んで来ても構わないですが、最低限。

 今週が映画だったわけだから、本を読む余裕はあったはず。読み切れなかったは許されません!

須山。

2010年11月5日
から 須山
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本日のゼミ記録(後期第6回)

 寒い寒い。男だけど冷え性っぽいんですよねー。

 ゼミ記録を書きます。

 今日の課題は先日に引き続き、津本陽『勝海舟 私に帰せず』。議論が盛り上がった+読み終わってなかった人も多かったてのもあり、2週またぎにしましたが、やっぱり先週である程度まとまっちゃってた所もありましたねwただ。約一月ぶりの復帰戦だった末永の意見も聞けたのはよかったと思います。

 議題としては「勝海舟は何のために生きたか」ということが中心。色々な意見が出ましたが、まとめると「自分を取り上げてくれた幕府・徳川への恩は忘れずに“沈みかけた船の責任者”としての立場を持ちながらも、新しい社会を作るために活動した人であり、「~のために」と1つにまとめてしまうのは難しい」ということでした。

 ただ、それは“特定の誰かに対してプラスになるが、代わりに他の誰かのマイナスになること”を目指したのではなくて、“誰にとってもプラスになること”を目指したからで、それはまさしく作品名の「私に帰せず、公のために」という考え方だろう、と。

 また、そこから通じて「なんでこの作品って途中から勝海舟自身が消えかけてるの?」という所に言及できたのは良かったんじゃないでしょうか。恐らくほとんど全員一致で「読みにくい」と感じていたこの作品、下巻になるともうほとんど歴史解説書みたいになってきて、勝海舟のストーリーが出てこないことが読みにくい要素の1つだったと思います。

 議論で出てきたのが「色々な出来事・人物に大きな影響を与え、手助けをしているが、実際に動いているのが勝自身ではない」ということ。だから、彼自身を主人公として押し出すように描けない。『竜馬がゆく』のある坂本龍馬や、『燃えよ剣』のある土方歳三とは全く違う所ですね。先週話題に出た「企画者と実行者が別にいた」という考え方にも繋がると同時に、これもまた勝という人が「私に帰せず、公のために」動いたからだと言えるのではないでしょうか。

 そして、このことを例えた先生の表現が抜群。

「インクを一滴、水に垂らした」イメージ。

 幕末という時代は、ゴチャゴチャと混迷していたからこそ、ある意味で不安定で、何かの要素が加わればその影響を受け、簡単に変化していく時代だったと言えます。だから、濃いインクが水に触れればその瞬間に全体に広がって、大きな影響を与えることになるように、幕末という時代に触れた、勝海舟という大きな要素は色々な物事に強い影響を与えていった。広がったインクは水に溶けてしまってそれ自体は判然としない。同じように、勝という人もその影響が大きく広がったことによって、彼自身がハッキリとしていないんだな、と考えられます。それに、まだ勝海舟自身の話が多い上巻では、彼自身の成長が描かれている、つまりはインクが垂らされて水面に触れるまでの期間を描いているとも言えますしね。

 流石、先生。

 来週は映画観賞予定。また別にメーリス回すのでそれで確認をしましょうね。ただ、その次に控える『峠』は分量多いので早速読み始めたいところですな。

 大分遅い時間になってしまった・・・

須山。