吉田悦志ゼミナール 明治大学国際日本学部

Etsushi Yoshida Seminar

2011年9月29日
から 須山
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4年後期第1回ゼミ記録

さあさあ。後期のゼミも今日から始まりました。

3年生の方には新しく留学生の方が入ったようで。うちのゼミが少しでも勉学の助けになれば幸いですね。

ところで、ルーマニアといえばゲオルゲ・ハジですね。サッカー史上でも屈指のパッサーでしょう。最近、ハジみたいなすさまじいパッサーっていないですよねー。

 

本日のゼミ課題図書は『翔ぶが如く』1巻でした。ついにこの本に手を付ける時が来ましたね。1巻はまさに序章といった感じだったので、議論自体はあっちへ行ったり、こっちへ行ったりでしたが、その分僕は思い付いたことベラベラ喋れたので良かったです。

議論の中で僕が「西郷は加速器のようだ」と発言しましたが、自分の頭の中では完全にコレです。時勢、感情、思想、武力、あらゆるものが西郷を通すと加速・増幅されその勢いや威力を増している印象なんですよね。恐るべき特質だと思います。とにかく普通じゃないです。

 

ここからゼミに関係ない話。

議論の中でもちょっと言いましたが、僕みたいなSF読みはこういう特異な人物、特異な現象の出現になにか理由を付けたがります。「それが西郷だから」とか「そういう気風があったから」みたいな漠然としたものでは納得ができないのです。

だっておかしいじゃないですか。なんでこういう混迷の時代に限って、西郷や龍馬のような史上屈指の能力と特異性を持ち、「今まさに必要」というようなタイミングで活躍するんですか?それも、日本だけに限らず、世界中で同じような事が起こるじゃないですか。おかしいじゃないですか。

「おかしい」と思ったら、何かがそこにあるんです。そう考えるのがSF脳だと思います。そして、SF作家はそこにフィクションを、「もしも」を当てはめます。それによって「おかしい」を仮定的に解決し、とりあえずその先に進もうとするのですね。

その「もしも」は簡単なところで言えば、「神」だったりします。あえて「神」を選ぶこともあれば、考えに考えてもっと小難しいものを当てはめることもあります。とにかく、突拍子のない「もしも」でも、それさえ当てはめれば、その事象を論理的に導けるような形の方が気持ちがイイわけです。

その「もしも」を考えること、そして、ある「もしも」を当てはめた時に導かれる理論展開やストーリーを考えること。これが楽しいんですね。

例えば、ゼミ合宿で『幕府軍艦「回天」始末』を読んだ時、「なんで榎本達はこんなに最後まで戦ったんだろう?」という疑問に対して、僕は「榎本と新政府側が元から示し合わせた戦いであったら・・・」というようなことを言いました。これはまさに「もしも」を考えたわけです。突拍子がない「もしも」でも、「武士の意地で・・・」みたいな漠然とした感情論なんかより、その先が考えられるんですよね。

さらに言えば、アインシュタインっているじゃないですか。彼が一般相対性理論を考えている時、色々とやってたら(小難しいから僕もあやふや)、「宇宙は収縮している」っていう結論が出ちゃったんですね。でも、実はアインシュタイン自身は「宇宙っていうのは常に一定の形を保っている」という考えの持ち主だったんですね。これはおかしい。彼はさらに考えました。そして、最終的に宇宙を表す式に加えたのが、「宇宙定数」っていうやつです。これは当時は万有引力と考えられていた重力と反対向きに働く斥力のこと。宇宙の外側に向かって働く力ですね。これがあれば、宇宙の内側(中心側)に向かって働く重力を相殺して、宇宙はその形を保つというわけです。でも、この「宇宙定数」ってのは決して観測上確認されたものではありませんでした(今は研究が進んでいるそうです)。つまり、この「宇宙定数」ってのも壮大な「もしも」だったんですよ。もちろん、SF小説の「もしも」とは次元が違いますが。アインシュタインがいいかげんを言っていたってわけではないですし。でも、見方によっちゃあその「もしも」があったからこそ、一般相対性理論という物理学史上に残る偉業が成し遂げられた、と言えるのではないでしょうか。

「おかしい」と思うことへの探求心と、そこに「もしも」を当てはめてでも何かを導こうという意欲や想像力っていうのは、時にとてつもなく大きな成果を上げるんですよ。楽しいじゃないですか。こういうことって人間にしかできないじゃないですか。素晴らしいことじゃないですか。SFって楽しいですよ。

 

長々と書きましたが、これが僕の小説の読み方であり、小説の楽しみ方なんです。SFでも、歴史ものでも、それは変わりません。

自分なりの楽しみ方を見つけると、読書って楽しいですよ。

 

 

2011年9月20日
から 吉田 悦志
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2011年度後期開始!!!

3年4年のみなさん。2011年度後期が始まります。「語る」ためには「読む」ことが、「集う」ためには「読む」ことが、共に基本です。吉田ゼミから「読書」を引き算したら、あるいは何も残らないかもしれません。「読書」がみなさんの学生生活のみならず、人生の進路を決定する、と私は確信しています。まず、読み始めて下さい。キツイ時はゆっくり行きましょう。

足りないならば増やしましょう。「読み」「集い」「語り」そして歩きましょう。

2011年8月21日
から kaori
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ゼミ合宿

合宿お疲れ様でしたー!
3年の福嶋です^^

個人的な感想になってしまうかもしれないけど、せっかくなんで来れなかった3年生のみんなにも合宿の様子を知ってもらいたいなぁ、と思って書きました!

メインだった3,4年の合同議論はすごく勉強になりました!
4年生の議論はどんどんいろんな意見が出てきて、聞いていて面白かったです。
経験とか読んだ本の量ももちろんだけど、日本史の知識自体も豊富だし、何よりも発言しようとする意識が高かったです。

それから今回私は3年生の課題図書のプレゼンターだったんですけど、調べ方が足りなかったことに気づきました。
4年生沼野さんのプレゼンは課題図書の内容を元に分析されていたり、登場人物を中心とした人物相関図が紹介されていて、本の内容と当時の時代背景が分かりやすく発表されていました。

この合宿の議論を通して3年生はだいぶ置いてけぼりな状態だったんですけど(笑)
それでも終わってから、今度はしっかり調べた上でもう一度プレゼンのリベンジをしたいなと思えました。

議論の仕方を勉強できただけじゃなくて、議論と発表に対する意識が高めることが出来たのはこの合宿に参加した収穫でした。

他学年のゼミ生と一緒に活動をするのはめったにない貴重な機会なので、来年、再来年と繋げていけたら良いなと思います。

これで合宿の様子が伝わったかどうか不安なんですけど(苦笑)
少しでもどんな感じだったか伝われば嬉しいです!

2011年7月6日
から masayuki
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3年前期7回目

こんにちは。今週の土曜に発表会を控えている3年の高橋です。箏、三味線、尺八のサークルに所属しています。
演奏会は9日14時ぐらいから第二校舎の8番教室で予定していますので時間があったらぜひお越しください!
告知をしてしまい申し訳ありません・・・。そして、更新が遅れてしまいさらに申し訳ありません。

三年生第7回は壬生義士伝の下巻でした。リポーターが藤本さん、司会が紀室さん、書記が高橋でした。

発表については、『吉村貫一朗』の人物像や、『貫一朗』と『次郎衛』の関係について、また『貫一朗』と家族の関係性に焦点を当てていたと思います。
あ、『石割桜』の事も興味深かったです!!!

まとめでは『壬生義士伝』とは
・身分の差に阻まれながらも友情を築く物語
・きつい言葉の裏に隠れた本音を書いた物語
・故郷への愛を描いた物語
・吉村貫一朗は義に生きた最後の侍

とまとめていました。

議題は『①吉村家と大野家の内情を含んだ、貫一朗と次郎衛の関係性について』、『②義を貫くことは貫一朗にとってどんな意味があったのか?』でした。

まず①に関しては、貫一朗と次郎衛は竹馬の友でありながらも主従の関係も結んでいるという二面性がありました。
上の立場である次郎衛は南部藩の飢饉問題の解決策の模索しなければならなかっただろうし、国を引っ張っていく立場として吉村貫一朗という一個人に対してのみ例外を許すことなどできなかったと思います。リーダーがナヨナヨしていたら、組織もまとまっていかないですよね・・・。

このような理由から次郎衛は貫一朗に対して苦渋の決断(=切腹)を命じなければならなかったのだと三年は考えました。
ただ、友として救いたいという感情もあり、文章中に出てきた、次郎衛が貫一朗に飯を与えるくだりは次郎衛の貫一朗に対する罪悪感が表れていた箇所だと思います。
きっと、大義名分を貫いていた人間(=貫一朗)を死なせたくはなかっただと思います。救いたい、でも身分がジャマをする・・・とても難しい問題ですね。

次に②に関してです。貫一朗の生き方に焦点をあてて議論を進めていきました。貫一朗の義=家族を養うこと=お金稼ぐこと=斬られず、かつ斬ること。
妻・しずの事が大好きで大好きでたまらない・・・&そんなしずから生まれた子供も守りたい、まさに吉村貫一朗の人生とは『壮大な出稼ぎラブストーリー』であったと三年は考えました。ただ、家族への義を貫いたのは確かですが、幕府への忠誠は尽くせていたのか?というところで貫一朗の行動には多少ばかりの疑問も残りました。また、南部藩が経済苦でなかったとしたら壬生義士伝のような吉村貫一朗像は生まれていたのかも気になるところです。
本の内容だけでなく、歴史背景などをもう少し知っていたら別の観点から攻めることができて、もう少し深い議論ができるのではないかなぁと思いました。

ちなみに、この発表の次の週(二週間前?)はフィールドワークの打合せを四年生の先輩方と行いました
で、先週は就活の説明会みたいなのを受けました。
さて、今週は壬生義士伝の映画鑑賞です!楽しみですね!!!!

それでは失礼します。乱文・駄文申し訳ありませんでした。

2011年6月27日
から 須山
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フィールドワークお疲れ様です。

 4年ゼミ長の須山です。こんばんは。

 昨日は日野でのフィールドワークお疲れ様でした。個人的に割と歩き疲れました。

 予定していた所全部に行けたわけではありませんが、それは行った所が楽しくてついつい時間が過ぎてしまったということでしょう。日野本陣はホントにイイところでした。あの場所に土方や鉄之助、それに将軍や天皇陛下までが過ごしたことがあるんだと思うと、ゾクゾクします。

 飲み会も楽しかったですねー。思っていたよりも3年生ともお喋りできたかな?セミナーハウス合宿に向けてイイ雰囲気にはなったと思います。合宿もみんなでワイワイ楽しめれば嬉しいです。

 ちなみに、セミナーハウス合宿の抽選結果は明日発表なので、今度のゼミの時にはみんなに結果を伝えられます。お楽しみに。実際にどんなことをやるのか、細かい所は水曜以降に決めていきましょう。

 そして、今回の企画に関しては3年生にとても頑張ってもらいました。特にイベント係の人お疲れ様でした。ありがたかったです!後期のフィールドワークの時もよろしくお願いします(笑)

 

 あ。今読んでいる本は、都筑道夫『宇宙大密室』です。都筑さんの作品は『怪奇小説という名の怪奇小説』以来の2冊目ですが、憎たらしい感じが好きです。これから色々読もうと思います。

2011年6月19日
から taro
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祝!!雪辱を果たしました!!

こんばんは!体同連アメフト部、四年生の鈴木太郎です!

レポーターでも司会でもなんでもない自分がなぜ投稿しているのかというと……………..

去年関東選手権決勝で負けた早稲田大学相手に今日雪辱を果たしました!
接戦でしたが最後に逆転を収め、完全勝利しました!!
今年こそは駒沢の競技場に明治の校歌を流してみせます!!
とりあえず自分は早稲田が大嫌いなので先生に報告の意味を込めて書き込みさせて頂きました!!
もしかしたらまたシーズン(夏休み以降)からはゼミを休むことになるかもしれませんが、応援をよろしくお願いします!!

2011年6月15日
から takuma
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今週のゼミ活動記録(4年前期第6回)

こんにちわ。副ゼミ長の末永祐馬です。ログイン名がtakumaになっていました。なぜでしょう(笑)

司会、水野。レポーター、緒方。世に棲む日々三巻

今日のレポーターの主な内容は豪商について。長州の豪商白石やお慶さんという商人と武士の関係の相関図がとても見やすい。レポーターの質がすごいよくなってきました。個人的には小曾根さんの情報も知りたかった。そんなこんなで今回の議題。

1、豪商が私財や命を投げ打ってでも長州を支えようとしたのにはどうゆう思いがあったのか

2、長州が力を持ち、そして維新において存在感を持った理由はなにか

1の議題。

豪商も多くの知識や思想を持ち、考え方が志士に合うものがあった。という意見がチラホラ。これは、緒方のレポートによる、豪商がただ利益を得ることだけを考えず、先祖や公共について考えていたという緒方レポートの影響が大きかったですね。豪商白石が後に破産するのもうなずけます。

そして、貿易により海外の影響力を感じ、武士よりも危機感があったのでは。との意見もでます。ただ、商人としては、志士を支援というのは投資という意味が大きかったのではないか。これによりできる大きなバックの見返りを期待していたのではないか。との意見も。江戸時代という平穏の中で戦っていたのは、武士ではなく、商売という世界の中で常に戦っていた商人こそが、自分が何をすべきかという感覚を育てていたのではないか。そのため、志士を支援するという冒険ができたように思えます。

豪商たちは(高杉晋作に陶酔した白石正一郎は別ですが)やはり戦争も商売、稼ぐ、または士農工商から脱するチャンスをうかがっていたように思えます。

ここで議論が終わり先生から、「豪商はものを流すのであって、国としてものづくりは発展しない。そこが商人としての限界であった。」

との意見が。だから、市民革命ではなく、国のことを考えた武士の革命なんだとみな納得していたような記憶が。あっていますかね?自分の記憶があいまいで、すいません。

議論2、長州が力を持ち、そして維新において存在感を持った理由はなにか

ぬまたんが、歴史的考察として、やはり戦国のうらみがあると意見を放ちます。足を江戸にむけて寝るだとか、幕府に恐れながらも反発心があったと。

ゼミ長がどっと意見を出します。江戸時代の武士道というものは受け身になっている。武士道とは主体的であるべきだ。自分の思想をもって、それを行動に移すことがでくりひとたちが本当の意味での武士道をもっている人だ!そして新撰組も会津も吉田松陰も武士道があり、自分の信念を貫き通すという点で松陰のいう「狂」であった。しかし、大半の長州人は個人としての意見がなく、その点では「狂」とは言えないが、そのような松陰と高杉のような実行者がいたので回天ができた。

他の人からも、しかし、時代の中では尊王攘夷自体が、江戸幕府を覆すという「狂」であって長州藩自体が「狂」となっていた。だからこそ長州が日本を動かした。

まとめ。非常識が常識になる、それが革命。その非常識が変わりゆく中で、多くの血が流れる。

この作品を通して、僕が思ったのは、高杉晋作がいかに、破天荒か。これまでいろんな歴史小説を読んできましたが、今でかつてこんな人はいなかった。どこでも放尿したり、奇兵隊つくったと思えば、坊主になったり、また80人で藩を変えるクーデターしたり。

本当に魅力的ですが、理解が不可能。そこがまた魅力ですな。

では今日は第4巻

次回の書き込みの人はその日のうちに書くことをお勧めします(笑)

2011年6月15日
から eriko
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3年前期 第6回 活動記録

はじめまして。3年イベントプランナーの中村枝里子です。更新遅くなりすみません。3年生6回目まとめていきたいと思います。
議論4回目の今回は『壬生義士伝 上巻』について話し合いました。レポーターは小久保さん、司会は永野くんです。

妻子を養うため、南部藩を脱藩し、壬生浪と呼ばれた新撰組に入隊した吉村貫一郎。新聞記者とおぼしき人物がその吉村について知る人々を訪ね、彼の真実の姿とはどういったものだったか、その足跡を聞く筋立てになっています。上巻では角屋の主人、桜庭弥之助、池田七三郎、斎藤一が彼について語っています。

そして今回の議題は
1、吉村貫一郎の人物像とは~なぜ戻ろうと思ったのか~
2、妻・しづへの想い
です。

まず1について、ここでの戻ろうと思ったのかというのは1度脱藩した南部藩へなぜ帰参しようと思ったのかという意味です。1の議題を討論するにあたって、吉村が何のために生きたのか?ということと、吉村の生き方についてどう思うか?ということの2点をそれぞれ考えました。
何のために生きたのか?上巻を読んでいて、吉村は生きることに対しての執着心が当時の他の武士よりも強いように感じられました。その理由は義(武士ではなく、人の踏むべき道)のため、家族のためという意見が大半でした。なぜならば、吉村が脱藩した理由が尊王攘夷のためではなく、本当は妻子を養うためにお金を稼ごうと思ったからです。生きてさえいれば家族を養える、家族を生かすため生きなくはいけない、ということです。
また、これに対して大義名分のため、潔く死ぬのが当時の武士の一般的な生き様だという意見がでました。この部分は吉村と対比されていて面白いと思いました。

以上をまとめると、当時の武士が潔く死ぬのを生き様としていた一方で、吉村は死んだら家族を養えないと考え、家族を養うために生きようとしたとういことになります。

続いて吉村の生き方についてどう思うか?です。
これに対して出た意見は家族を大事にしているところが良い、親しみを持てる、人間味があって良い、今の日本人のかけているものを持っている、南部のあたたかさを感じるといったように、おおむね好意的な意見が多かったです。しかし、他人の分のお金をもらっていくというのはちょっとやりすぎ、もう少し空気を読め、武士としては嫌いといったような意見もありました。
先生によりますと、当時の武士の考え方には吉村のようにお金のために働く、という考えを持つものはいないようです。
以上をまとめると、少しやりすぎと感じる部分はあるが、それもずる賢いのではなく、純粋に家族のために戦ったのは人間味があって良いということになります。

この2点から改めて議題1、吉村貫一郎の人物像とはを考えますと、吉村は自分が信じる大切なもの(家族)のために、周りの目も気にせずに、自分の信念を通すことのできる人物であったということに落ち着きました。

2つめの議論は妻・しづの思いについてです。
しづの吉村に対する本心は文中ではあまり言及されていなかったので、少々難しく、妻だけではなく家族から見た吉村貫一郎について考えました。 
プラスよりの意見はこんなに家族のことを想ってくれる旦那はいないのである意味幸せ、貧しいなりに吉村の想いを感じて幸せ、お互い信頼し合ってる、息子・嘉一郎も貫一郎を尊敬している、といったものが出ました。
一方、マイナスよりな意見はどうやってお金を作ったのかわからないので不安で怖い、女1人で子供を育てないといけないという責任感を感じる、いなくなってしまうのは不安というような意見がでました。
また、他のやり方(脱藩しない)もあったのではないか?という意見もありました。

これらをまとめると、お金を送ってくれるのはありがたいが、消息不明なのは不安だろうということになりました。

以上が第4回目の議論になります。あまりまとまっていなくてすみません。
また、この日は初めて3年生の飲み会がありました。各々あだ名をつけたあった後に、また幕末の登場人物にちなんであだ名をつけあうという不思議な現象が起きましたが、楽しくうち解けられました。次回は今回出席できなかった人も参加できたらいいなと思います。

そして今日は下巻の議論をする日ですね。下巻泣けました。個人的に下巻の方が自分自身高まったので楽しみです。

2011年6月8日
から yuki
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3年前期 第5回 活動記録

はじめまして。3年広報の折田有紀です。

遅くなってしまいすいません。3年生第5回目まとめていきたいと思います。

議論3回目の今回は、司馬遼太郎の「燃えよ剣 下巻」について話し合いました。下巻は、七里研之助との決闘から、土方歳三の最後までの物語です。レポーターは紀室さん、司会は内記さんです。今回は議論の時間が短かったせいか、前回に比べ意見が少なかったように思います。私が言えることではないのですが…。

今回の議題は

1.新鮮組とはどのような存在だったか

2.土方歳三の生涯とは

まず一つ目の議題についてです。旧幕軍、そして倒幕派から見た「新撰組」について議論しました。旧幕軍にとって新撰組は頼りになる存在だったのではないか。一方、倒幕派は新撰組を邪魔な存在、殺し屋、因縁の相手だと感じていたのではないかという意見が出ました。結果、新撰組は頼りになるけれども、時代の流れについていけなかったのではないか。やはり、立場が変わると新撰組の見方もかわりますね。

2つ目の議題は土方歳三の生涯についてです。

土方歳三は最後まで自分の意思を貫いて生きた人物ではないか。自分の信念を貫き通したが、周囲の人から見ると世の中の動き時勢に逆らっている。やったことは大きいが自分のやりたいことだけだったのではないか。自分のやり方を変えられず、妥協のできない男だったのではないか。と様々な意見が出ました。「最後まで自分の意思を貫く」これこそ男の美学です。土方歳三こそ美学に生きた男なのではないでしょうか。

ではここで、男の美学があるのなら女の美学は何だろうか。お雪さんの歳三に対する適度な距離感。この距離感こそ女の美学ではないだろうか。確かにその通りだと思います。

最後に、今までのゼミを通して感じた事なのですが、私はまだまだ知識が乏しく思うように議論ができません。今まで歴史はあまり好きではないからといって避けていたので仕方がないことだと思います。ですが、歴史小説を読むようになり、少しずつ興味を持ち始めました。遅いですね…。今はまだ、議論についていくことができず、皆さんから学ぶことがたくさんあります。ですが、積極的に議論に参加できるように、少しずつ知識を増やしていけたらいいなと思っています。一日でも早く皆さんに追いつけるように頑張りますので、これからもよろしくお願いします。

内容の薄い活動記録になってしまいすいません。

次回は、といっても今日ですね。浅田次郎の「壬生義士伝 上巻」に入ります。

2011年6月5日
から 斉藤
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今週のゼミ活動記録(4年前期第5回)

斉藤です。ようやくログインできました。なんもしてない自分が更新していいのかわかりませんが任されたので書かせて頂きます。

今週は司馬遼太郎「世に棲む日日」第二巻でした。

まずは須山の発表。主に教育機関について。藩校、明倫館、私塾など。なんとなく明倫館の全貌がわかりました。合間合間に紙芝居ちっくなのが入っていて、わかりやすかった印象があります。アナログ人間なのであそこまでやってくれるとすっと頭に入ってきました。

そして議題へ。自分が司会なのに何も出来なく申し訳ありません。議題は「松下村塾から逸材が輩出されたのは吉田松陰の何に起因するのか」というのと「高杉晋作が吉田松陰から学び取ったものとは」の二つでした。

皆からは「生徒と同じ目線であった」、「生徒からも何かを学び取ろうとした」などの意見が出ました。吉田松陰がいかに完成された人物かってことな気がします。次に「人の長所を見抜くことに卓抜していた」、「人をひきつける力があった」などがありました。ここからは吉田松陰が優れた教育者だったことが窺えます。まだ二巻だったので中途半端なところで議論終了となりました。

最後に吉田先生のいっていた「司馬史観=歴史的=ぬまっち」⇔「浅田感=文学的=須山」という対比の発見がありました。なんかびびっときましたね。司馬浅田両先生がゼミにいるってのはすごいですね。

来週は第三巻です。

何か自分の話を少し入れるとかそんなんありましたよね?なので最近発掘した「秒速5センチメートル」という漫画について。この先つまらないんで読まなくて大丈夫です。

「秒速5センチメートル」は講談社月間アフタヌーンで2010年より連載されたいわゆるヒューマンストーリーものです。作中ではとてもゆっくりと時間の流れる漫画でして、若干くせがあると感じる人がいるかもしれません。原作の新見 誠と言う人は以前に「ほしのこえ」という約25分のアニメーションをほぼ一人で作り上げたという、とんでもない人です。これは第一回新世紀国際アニメフェア21公募部門で優秀賞を受賞し、その後の作品ではなんとあの「ハウルの動く城」を抑え、毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞しています。まあ観る部分がちがったのかも知れませんが。とりあえずスゲー人なんですね。「秒速5センチメートル」は映画が先なんですが、新海氏は「思春期の困難な時期に、風景の美しさに自分自身を救われ、励まされてきたのでそういう感覚を映画に込められたら、という気持ちはずっと一貫して持っている」と発言しています。その言葉の通り、漫画の中でも風景描写の繊細さ、緻密さはとても美しいです。恐らくアニメのクオリティはもっと上なのでしょう。僕がこの漫画から感じたのは「過去・現在」というものです。過去があって現在があるなんてことはまあ当たり前です。この物語はある奇跡のような恋によって人生を照らされ、それによって今を縛られる人の物語です。彼は奇跡からどう脱却するのか。はたまた脱却できないのか。余韻を残し物語は閉じられます。ちなみに僕は読むたびに、その先の想像にふけります。それが楽しいんです。僕はこの作品から答えを見出してはいません。「答え」なんて考え方はナンセンスかもしれませんが。それでも、それまでの物語を振り返り、自分なりに彼らを頭の中で動かしてみます。そうやって物語に自分をぶっこんでいきます。それが楽しいんです。この作品はただの恋愛モノでなく、人間の心をとっても繊細に描いた漫画です。全二巻の短編モノなんで興味のある方、是非。

なんか話が気持ち悪い方向へそれましたが、まあ好きなこと書いていいと聞いているので問題は無いでしょう。全く自分のこと書いてないけど問題はないでしょう。だーれも最後まで読んでくれないような内容だけれど問題は無いでしょう。

ではこれにて。ドロン!!